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南房総でシンプル田舎暮らし

南房総に移住を計画中の中高年夫婦の暮らしを綴ります。

突発性難聴になりました。

それなりに店は繁盛していたのだけれども、、、。

さてさて房総に来る前に経営していた5坪の弁当・惣菜店。

 

ほとんど誰にも告知していなかったのに、オープンの日は100人近い人が5坪ほどの店に押し掛けたのです。次から次と届く、開店祝いの花、小さい店内には置ききれず、外に置くほど。

 

店の中は人があふれ、行列が外にまで。レストランじゃないんですよ、弁当、惣菜屋なんです。あっと言う間に売り切れ。とにかくてんてこ舞いでした。というかビックリポン!!

 

なんで「本日開店」というとああも人が押し寄せるのでしょうか。別に開店セールとかやったわけでもないし、広告をうったワケでもないのに。あげくはTV取材の電話まで。

 

まあ大変な一日でした。というか、そこから戦争の始まりでした。

 

弁当、総菜屋は開店までに商品が出来上がっていないといけません。受注してから盛りつける、とかセルフで量り売りという方法もありだったのかもしれませんね。そういう話もありましたが、なかなか踏み切れず。

 

朝5時起きして5時半には店に入っていました。昼に主人と交代して一旦休憩に入るものの、夕方5時頃に店に戻って、翌日の仕込み、閉店7時まで。

 

ぐだぐだです。毎晩足がつりました。夜ご飯を食べている時にも両足がつるようになりました。

 

続かなかったのはまず、私の体力不足。やはり50歳になって弁当屋というのはきつかった。休みの日も仕入れに動かなくてはいけないし、お客さんが増えれば増えるほど一人ではできないのでパートさんを雇い、人件費がかかり、経営のマネジメントと身体の疲れとでアラームが出たのです。

 

ある日、左腕がしびれるようになり、その次には足、歩けない程の痛みが左足のつけねに走ったのです。しびれる左手で鍋も持てない始末。

 

そんなある朝、起きたときに片耳に違和感が。なんかこもったような、水が入ったような。でも聞こえるのです。「まっ、耳抜きのようにいつか抜けるか」と思ってました。

 

1ヶ月しても治らないので耳鼻咽喉科に。「突発性難聴」でした。検査すると聞こえない音域があります。「突発性難聴はね、すぐに医者にかかってステロイド剤を投与しないと治らないですよ。」と医者に言われ、いろいろ調べると確かに違和感を感じて1週間以内が勝負だと。「日常生活に支障のない音域ですから」と言われるだけ。

 

何も手だてがないまま2年を経過しました。これがとっても厄介です。

 

始終耳鳴りがします。天気が悪くなる前とかは特に。

 

雑踏にいくと耳鳴りがひどくなり、気持ち悪くなります。雑踏の中では人の声もこもって聞きづらくなるのです。

 

東京とか人ごみに出るのもいやになりました。

 

この突発性難聴になったときに、「ああ、このままではほんとうに取り返しのつかない病気になってしまう」と鬱状態にも。今思い起こせば。ほんと最悪の状態でした。

 

自分の健康が第一!すぱっとやめよう!と思ったのです。